ペンネーム:もりん
前回、自己肯定感が低いがゆえに頑張ってしまうことについて書きましたが、今回は、幼少期から現在まで、発達障がいがゆえに、その特性を隠し続けてきた、それでも隠せなかった、そして辛くなってきたことについて書きます。
私は、小学校から高校まで普通学級に通っていました。そして、大人になって発達障がいであることがわかりました。しかし、実は小学校2年生だか3年生のころに分かっていたそうです(これが実にあいまいだが)。しかし、母親から私が発達障がいだったことは伝えてもらえませんでした。何やっても他の子と同じようにできないことが悔しくなり、当時の私は人一倍努力をしました。それでもできず、「努力が足りない」と言われ、さらに必死になりながらできるようにしました。また、落ち着きがなく、それでも必死でおとなしくしようとしました。また、独り言も必死で我慢しました。このように他の人が当たり前のようにできることができないことで大変だったことはかなり多かったです。ほとんど思い出せていませんが。そんなわけで、いまでも普通であり続けるために日々多くのエネルギーを費やしています。
私自身は、ある程度のことは自分でできていると思っています。実際できているそうです。しかし、それゆえに発達障がいの特性が見えづらくなってしまい、必要な支援が受けづらくなってしまうことがよくあります。また、自分を過信してしまい、本当に必要な支援が必要じゃないと思ってしまうそうです。このように、“ある程度普通にできている”という状態がかえって発達障がいの問題を厄介にさせてしまいます。
学生時代、私が診断を受ける前は、勉強や友人関係、恋愛が思うようにいかず、悩んでしまい、うつ状態になりました。また、他の人と違うことがゆえにいじめにもあい、先生にも恵まれることか少なかったことで、あまりいい思い出がありません。現在、診断を受けた後は、事業所の職員並みにできるようにならなければいけないと思い、頑張りすぎてしまいます。また、一日8時間働けるようにならなきゃいけないと思い、17時までは喫茶店などで読書したり、仕事を振り返ったりしています。とにかく、普通の大人がやれることはやれるようになりたいと頑張っている状態です。
私は、普通に働けている人や恋愛できる人がうらやましいです。その一方で自分がそのようにやることが正直怖いです。仮に付き合おうとしている女性に「私は発達障がいで、A型事業所に通っています」と言ったらどんな反応されるのだろうと考えたら怖くなります。また、働いている会社で無茶なことを要求されたら、ハラスメントを受けたら、障がい特性によって会社に多大なる迷惑をかけてしまったら、リストラされたらどうしようと思うと怖くなります。それこそ、悪い結果が起きれば相当落ち込むんだろうし、生きることに希望を持てなくなるかもしれない。そう考えるだけでとても恐ろしいです。ひょっとしたら、発達障がいゆえにほかの人と同じようにできない自分ができるようになろうとした。それでも他の人ができていたことができなかったことがゆえに必要以上にそういったことを怖れているのかもしれません。
そんな私ですが、今やりたいことの一つとして、私のような人が今より生きやすくなるような社会を作ることです。そんな偉そうなことを言っても、具体的にどのようにアプローチすればいいのか自分自身よく分かりません。今は、発達障がいへの理解を広げるための活動をしていますが、それが正しいのかわかりません。私個人的な見方とすれば、発達障がいを持っている人とそうでない人の違いは大きいように見えて、実は小さいと思います。しかし、その小さな違いが大きな違いを生んでしまっていると思います。また、発達障がいの人が困ることは、実は、そうでない人も困ることが意外と多いと思います。そう考えると、“発達障がい”というアプローチだけでなく、他のアプローチも必要かもしれません。また、私自身、今でも発達障がいに向き合えていない部分があります。そういった部分にもう少し向き合えるといいなあと思います。